真実は体感覚が知っている?
真実は体感覚が知っている?
NLPでは人間の外界から受け取る情報処理システムとして
- 視覚(Visual)
- 聴覚(Auditory)
- 体感覚(Kinesthetic)
の3つをあげ、略して “VAKシステム” と呼んだりしています。
また、上記のものに、さらに、
- 嗅覚(Olfactory)
- 味覚(Gustatory)
を加えて、”VAKOGシステム” と呼ぶ団体もあるようです。
さて、それら複数の人間の情報処理システムのうちで一番正確なのはどれでしょうか?
NLP自体があまり科学的な扱いを受けておらず、たとえ科学的に検証されたとしても大抵は “従来の心理療法の手法とは有意差なし” とされ、真剣に論じられる事はなかったように思えます。
そんな中、NLPとは直接関係ありませんが、ドイツの大学の哲学者グループが人間の触覚についての研究を纏めて論文として発表したようです。
「触覚の不思議。人は不確かな情報をもっと良く知ろうとするとき、目で見るより触った感覚を信用する傾向にある(ドイツ研究)」
(原題:Philosophy of the Mind: In Touch with Reality)
この論文の端緒となったのは、
「美術館では展示品の修繕に少なくないコストを掛けているのだが、その美術品の修繕とは来館者が展示品を手で触る事による損傷である。本来、美術作品はそれこそ “目で見る” だけで十分である筈なのに、どうしてヒトは美術品に触りたがるのか?」
が端緒のようです。
そして、この論文では最終的に、
「ヒトは得られた対象に関する得られた情報があいまいな場合、最終的には触覚で得られた情報を最も正確なモノとして対象物を認知する」
という事。
この触覚の正確さとある意味対照的なのが “視覚” でしょう。
“錯視” という言葉が存在するように、全く同じ長さの直線を装飾すると、違った長さに見えるのは代表的な錯視の例でしょう。(ミュラー・リヤー錯視)
そして、不思議な事にこの長さが違うように見える二本の直線のそれぞれを指でつまもうとすると、二本の場合とも指の間隔は同じであるというオチまであります。
体感覚というか、触覚というものは “非言語的情報” のため、どうしても “自分が感じている状態” について説明するのは困難である一方、視覚や聴覚に比べると、いろいろと特徴がある事も分かっています。
それらの一部の例を挙げると、
- 触覚は意思決定に影響を与えている
「人間は物理的感覚を頼りに抽象的な精神的概念を把握する(足場理論)」 - 触覚が味覚に影響を与えている
これは私の個人的な場合ですが。。。
私の場合、ご飯は冷や飯のように、所謂 “ボソボソ” になった状態の方が美味しく感じます。
或いは、大概の料理に於いて “グチャッ” とした食感覚の料理は全くダメで、例えば、牡蠣フライやアップル・パイなどは、どんなに食材が良くても、どんなに料理人の腕が良くても、全く受け付けません。 - 驚くほど敏感・鋭敏
これは 「第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい(マルコム・グラッドウェル著 光文社)」で紹介されていた例なのですが、アメリカの食品会社のテスターは、街中で売っているライバル会社゜のクッキーを食べただけで、その原料はどういったものを使っていて、どこの工場で作られたものかまでをも判別できるそうです - 地図は領土ではない
とある場所に旅行に行こうとした場合、ガイドブックやネット等で事前に旅行先の情報を収集するのは誰しもやる事ですが、これは “視覚” や “聴覚” による知識の習得であり、実際の旅行先の雰囲気や出来事などは実際に出掛けて “体験” しない限り分かりません。
あるいは、どんな料理も、それが “”美味しいか・不味いか” “自分好みの味か?” は、最終的には “実際に食べて” みないと分かりません。
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