受動態表現を使って責任の所在を曖昧にする
以下の動画は単に英会話レッスンのものですが、現代催眠やNLP的な視点でも興味深いと思いましたので、紹介します。(全8分)
今の義務教育の内容は全く知りませんが、恐らく、英文法の中でわりと最初の頃に勉強する、
- 能動態
- 受動態
の微妙な違いと、それが人の印象に与える影響です。
例えば、ホワイトボードにも書かれているように、「ケーキを食べた」という内容を表現するには、
I ate cake.
という能動態表現と、
The cake was eaten.
という受動態表現の二通りが考えられますが、両者の表現には微妙な違いがあります。
即ち、
- 能動態表現の場合は “誰が” 食べたのか明瞭に表現
- 受動態表現の場合は、”誰が” 食べたのか不明瞭
という事です。
別の言い方をすると、受動態表現の場合は、
ケーキを食べたのは誰?・・・We (I) do not know.
という事のようです。
例1としての、
I made a mistake.(能動態)
↓
ミスをしたのは私であると明示的に示している。
The mistake was made.(受動態)
↓
ミスが起きたという現象に焦点があり、それは誰か?については不明。
通常の会話では、能動態で表現することが推奨されるようですか、例えば、政府関連の発表の場合、「誰がミスをおかしたのか」について、明示的に述べることは避けたいので、同じ内容でも受動態で表現される場合が多いとの事。
例2では、
We killed a lot of people.
A lot of people were killed.
上記の説明同様、政府の軍隊が沢山の人々を殺した場合、能動態を用いると、その行為の主体である軍隊に対して非難が集中してしまいます。
また、例3は、
We will turn off your electricity.
Your electricity will be turned off.
という具合に、受動態の表現は、どのような行為が行われたか?という「行為」自体にフォーカスするので、新聞記事の表現にも用いられるようです。
英語と日本語とを比較すると、日常会話では日本語の方が遥かに曖昧な表現を使われる場合が多いと考えられますが、催眠療法を学ばれた方は御存知の通り、
「脳の言語処理は “自分” と “他人” とを区別できない」
という特徴を生かして、スクリプトの中で、”私達は・・・” とか “人は・・・” とすると微妙に不自然な印象を与えてしまう場合には、主語を省略したり、今回のケースのように受動態表現を使うのも一法ではないかと考えられます。
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