NLP:日常会話は推論で満ちている

私達が家庭生活や職場などでの会話の中でよく使われるのものとして例えば、

「事実をキチンと見よう」

「事実で物事を語ろう」

というフレーズがありますが、果たして、その目的は十分に達しているでしょうか?

言語学の中に、「推論」というものがありますが、ここでは推論の定義を、

自分や世間一般で知られている事を基にして、本当なら事実である事を確認できない事象について記述する行為

とします

例えば、こんな例。

会社のミーティングで複数人が参加していますが、参加者の中に一言も発言していないメンバーがいたとします。

その場合、彼の様子を観察していた貴方はどのように思うでしょうか?

恐らく、大部分の場合、

「彼は無口な人間だ」

とか

「彼は引っ込み思案な性格だ」

と判断するでしょう。

しかし、ここに落とし穴があります。

もしかしたら、今回の彼は何かしらの体調不良でとてもじゃないが発言できる状態ではなかったのかもしれませんし、別のプライベートの問題を抱えていてとてもじゃないけど職場のミーティングどころではなかったかもしれません。

もし、始めの、

「事実で物事を表現する」

のであれば、

今回のケースは、

「彼は会議の間は一言も口を開かなかった」

「彼の発言は会議では全くなかった」

ということになり、彼の会議での現実の行動と、彼の内面の性格とは全く関係ないことが分かります。

その他の、よくある例としては、

「彼は今、怒っている」

これにも推論が用いられていて、正確に事実で表現しようとすれば、

「彼は今、顔を赤くして手を激しく上下に振りながら、大きな声で何かを話している」

ということが記述の一例になるかもしれません。

その他、よくある例としては、

「彼はいつも忙しい」

「彼女は今楽しげだ」

「A氏とB氏は仲が悪い」

などが挙げられ、このような日常会話の他にも、メディアのニュースなどでも見られます。

「ミールは元気だよ 佐竹知事へ返礼のシベリア猫、県が写真公開」
(2016/12/17 秋田魁新報見出しより引用)

“ミール” というのは雄のシベリア猫の事のようですが、そのネコが元気かどうかは人間には分かりません。

このように私達の日常生活におけるメディアを含めたコミュニケーションを見ると、様々な “推論” に満ちていることが分かるかもしれません。

この推論を避けるための一つの方法として、

他人の心の中で何が起こっているのか想像をしない。他の人の行動の裏の意図について勝手に類推をしない

というものがあるでしょう。

ただ、この類推を一切使わないで日常におけるコミュニケーションを行うにはほぼ無理があり、人間は事実の叙述と類推とを無意識のうちに使い分けてスームースにコミュニケーションを行っており、一概に “類推” が悪であるという訳ではないでしょう。

これもまた、日常によくある “推論” の例です。

「彼(彼女)は私のことを嫌っている」

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