「みんなの意見」は案外正しい
人が何かの判断をする際、「十分なデータ」とか「完璧なデータ」を得られる事は現実的には非常に稀であり、「極めて不完全なデータ」を基にして判断しなければならない場合が殆どでしょう。
そもそも、判断に足る「十分なデータ」という定義が曖昧である上に、むやみにデータを収集したとしても、逆に「ノイズ(雑音)」に相当するデータの割合も増えてくるのが通常です。
こんな時は、「他の人の意見を聴いてみる」というのも一法かもしれません。
例えば、目の前の大きなガラス製のビンの中に多数の硬貨がミッシリと入っているとします。
そして、実際に、このビンの中に何枚の硬貨が入っているのか推定する際どうしたらよいか?
こんな時、複数の人に当てずっぽうでもよいので、具体的な枚数について質問してみます。
そして、その答えを集計してみると、驚くほど的確である場合が多いようです。
当然、個々の答えをみてみると、かなり多めに答える人もいれば、逆に、かなり少なめに答える人がいることは当然ですが、それらの個々のデータの誤差は、結果的には集計の過程でゼロに近くなっていくという性質を利用しています。
あるいは、こんな例もあるようです。
とある潜水艦が行方不明となり、その行方知らずとなった潜水艦の場所を推定することになり、様々な分野の科学者が個々に独立して推定しました。
そして、その結果、ある数千キロ四方の海洋の地域の真ん中で、対象となった潜水艦が実際に発見された実例もあるようです。
この場合も、一人々の予想は外れていましたが、全員の平均値は驚くほど正確だった、との事です。
以上は、ある意味「当てっこゲーム」的な要素がありますが、このような方法は、人生の困難な局面にも応用できる可能性があるかもしれません。
人生の困難な選択をする際、自分だけで考えるのではなく、分野の異なる様々な人、その問題に関する豊富な知識を有する人を集めて、「何に重点を置いたらよいか?」の答えを集めます。
当然、人により答えは様々ですが、その答えを集計してみると、重要視するポイントに一定の傾向が発見できて、意外とそのポイントは的を得たモノである可能性が高いと予想できます。
この方法の前提条件としては、質問する人に関して意図的なバイアスがかかっていないことが挙げられるでしょう。
もう少し具体的に言うと、
- 多様性・・・各人が独自の情報を多少なりとも持っている
- 独立性・・・他者の考えに左右されない・問題に関してバイアスを有していない
- 分散性・・・突拍子のない答えも出てくる。そして、そういった答えも認める
という条件を満たす必要があるようです。
従って、例えば、社長・上司に対するイエスマンしかいないグループでの会議では、上記のような結論を得ることは、ほぼ不可能であるかもしれません。
困難な問題に直面した時には、自分の力で何とかするのも当然一つの方法ですし、今回のように、忌憚なく第三者の意見を仰ぐ(ただし、多数の)のもまた一つの方法でしょう。
「解決策というものは常に唯一の正しいものが存在する」というのは日頃、私たちが持っているビリーフ(信念・価値観)ですが、選択肢(この場合は、解決策)は常に複数存在するのだ、というビリーフを持っていれば、自分の行動の選択肢も自然と増えることになるとも考えられます。
[title01]
[title02]
[body]
[channel]