NLP:チャンクダウンによる大きな目標の達成

「チャンクダウン」

チャンクダウンとは、物事を小さい塊に分けていくこと。

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毎日小さなことを改良していけば、やがて大きなことがおこる。

毎日すこしづつ身体を調整していけば、やがて大きな改良が見られる。

それは、明日ではない。翌日にすぐに起こるわけではない。

だが、いずれ大きな進歩が必ず訪れる。

大きな改良を早急に期待してはいけない。

日々、小さな改良を求めるのだ。

それが変化を起こす唯一の方法だ。

ジョン・ウドゥン:UCLAバチケットチームの伝説的コーチ

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以前のエントリーで、NLPのスキルの1つである「チャンクダウン」に関する、少し具体的な記事の紹介をしました。

要は、大きな目標を達成するのに、いきなり、それに望むのではなく、バカバカしいほど、あるいは、絶対に挫折しようにもそれすら出来ない小さな目標に細切れにし、それを1つ1つこなしていく、というものです。

これは、カナダ人心理学者アルバート・バンデューラが提唱した「自己効力感(self-efficacy)」にもつながる行動でしょう。

今回は、さらに具体的な物語の紹介です。

ある日、UCLA医療センターに一人の女性が訪れました。

彼女の名前は、”ジュリー”。

ジュリーは離婚して二人の子供を育てていました。

公的な補助は期待できず、彼女は朝から晩まで働きずめで、夜の30分ほど自宅のソファーで横になるくらいが唯一といってよいほどの安息の時間でした。

彼女は高血圧と疲労でセンターを訪れたのですが、実際に健康状態は良いとは言えづ、将来的には糖尿病等の成人病や、深刻なうつ病につながることも予想されました。

このジュリーのような患者には、大量のクスリの投与や、長期間の心理療法も必要なく、ほとんどタダ同然で最も効果の高い方法があります。

それは、「運動」です。

定期的に身体にある程度の負荷をかけるエクササイズを継続することにより、ジュリーの健康面での問題は、ほぼ、解決され、厳しい日常にも耐えうる体力もつくことでしょう。

医者は、ジョギングや自転車に乗ること、あるいは、エアロビクスのTVを観たり、DVDを借りてくることを勧めるでしょうし、ジュリーのような患者も、それが一番良い方法であることは「頭では分かっている」のです。

ただし。。。

これまで、運動をすることを勧めた患者は何百人にものぼりますが、それを無意識のうちに日常的な習慣としてできたのは、ごく僅かな数にすぎません。

残りの、大勢の人たちは、やがて「時間がかかる。キツい。無理だ。」と言い始めるのがオチです。

今回のジュリーの場合も、医者達は、時間をやりくりして、最低でも毎日30分以上の有酸素運動を行うよう、言い始めました。

それに対して、今までの現場での経験から予想された通り、ジュリーは、表情から、その医者のアドバイスに怒りと絶望と不信感を示し始めました。

その時、その場にいた臨床心理学のコンサルタントが、思いがけない提案をジュリーにしたのです。

「毎日、“一分だけ” テレビの前で足踏みしたらどうでしょう?」

これを聞いた医者達は、信じられないという表情をしましたが、ジュリーは「それなら出来るかもしれません」と少し明るい表情で答えました。

“たった一分の足踏み” が与える身体への負荷は全くといってよいほど無視できる程度であることは、科学的には明らかですが、心理学的には、この提案は、ジュリーに対して大きな影響を与えたのです。

その次の診療にジュリーが訪れた時、彼女の表情は明るくイキイキとしており、今までの、エクササイズに失敗した多くの人たちに見られたような落胆の表情はなかったのです。

逆に、ジュリーの方から、「一日一分で他にどんなことができますか?」と問うくらいです。

このことをきっかけにして、「分単位」でエクササイズの時間を延ばしながら、毎日の運動を習慣化することを確立していくことにした。

ジュリーの方も、自分で工夫して、「一日一分」からレベルアップして、「TVコマーシャル1回分だけ足踏み」に取り組み始めました。

そして、それが習慣化すると、今度は、「TVコマーシャル2回分」といった具合に。

ある意味、こういった「ショボい習慣」を続けていくうちに、次第に、ジュリーは、「毎日、TVの前で足踏みしないと寂しい」といった思考・脳のパターンになっていったのです。

結果として、ジュリーは、本格的なエアロビクスにレベルアップしたくてたまらなくなり、定期的に夢中で取り組むようになりました。

そして、以上は、かなり昔に読んだ、数ある本の1つの「物語」にすぎませんが、表題とは関係のない1つの示唆が得られます。

それは、「物語」がヒトの記憶に及ぼす力です。

もし、上記の内容が、科学的に、あるいは、ロジカルに「解説」されていたとしたら、一回読んだだけで、ここまでいつでも利用可能な情報として記憶に残らなかったかもしれません。

1つのストーリーとして印象に残っているので、「あ~、そういえば、そういう話があったな~」とスッと思い出せる感じです。

現代催眠の祖であるミルトン・エリクソン博士が実際のセラピーでも、「物語(Story Telling)」を用いていますが、

  • 人をその場で「説得」するのであれば、ロジカルに
  • 人の「記憶・印象に残る」のであれば、物語を

といったところでしょうか?

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