TVドラマ 「相棒」をNLP的な視点で

時々、思い出したように、駅前のレンタルビデオ屋でDVDを借りて、好きなTVドラマである、「相棒」シリーズを見ているのですが、今回は、個人的に印象に残る場面があったので、チョット考察してみました。

相棒 ten 「贖罪」

一人の受刑者が刑期を終え、出所後、自殺をしてしまう。
捜査が進むにつれ、この受刑者は、本当は冤罪の被害者であり、事件の真犯人は別にいた。
当時の裁判で証言に立った、神部警部補は、(冤罪となってしまった)容疑者に不利になるような偽証をしていた。
偽証罪そのものは時効で、罪は問われないが、神部警部補は自分を責め、事件終了後(ドラマの最後の部分)、ラウンジで大河内監察官とワインを交えて語らう場面。

大河内監察官(以下、O)

「贖罪か。。。」

神部警部補(以下、K)

「どこまでやれば贖罪が出来ますかね。。。」

「お前が有罪にした訳じゃない」

「ですが、嘘をつきました」

「判決に影響が出る嘘じゃない」

「ヤツの言い訳を微塵も信用できなかった。。。」

「誰も信用しなかった」

「犯人と決め付けてた。。。」

「みんなそうだ」

「信じてやるチャンスがあったのに。。。」

「今だから思えることだ」

「ヤツが憎かった。。。」

「友達が殺されたんだ」

「死刑判決を望んでいた。。。」

「当然の感情だ」

「警察官だったのに。。。、俺は警察官だったのに。。。」

以上の会話をよく見てみると、

  • 大河内監察官の発言の内容には、日本語表現にありがちな「主語」がない。

    唯一、「お前が有罪にした訳じゃない」には主語があるが、これは、出来事の解釈ではなく、事実そのものである。

  • 大河内監察官の発言には、曖昧な表現が多い。

    「誰も」の誰とは具体的には?

    「みんな」のみんなとは具体的には誰?

    「そうだ」の「そう」の具体的な内容は?

    「当然の感情」

  • 大河内監察官の表現は、全て肯定的な表現で、否定的な表現はない。

    唯一、「お前が有罪にした訳じゃない」は否定的な表現だが、これは、単なる事実である。

  • 神部警部補の発言は、「私は(自分は)」を補ってやれば正しい日本語となるが、大河内監察官の発言だけを取り出して眺めてみると、何か変な日本語であり、何を言っているのかサッパリ分からない
  • こじつけて考えれば、リフレーム的な、あるいは、ちょっと的のズレた返事をしている。

    「ヤツが憎かった。。。」

     ↓

    「友達が殺されたんだ」

    「死刑判決を望んでいた。。。」

     ↓

    「当然の感情だ」

普通ですと、このような場面では、「冤罪はお前のせいじゃない。クヨクヨ悩まないで、早く忘れろ」というのが一般的な表現でしょうが、そうすると、神部警部補がますます、どつぼに陥ってしまう可能性も考えられます。

今回の大河内監察官の言語パターンは、神部警部補を無理やり説得するような表現はなく、こじつけて言えば、NLPのミルトンモデル的な、曖昧・婉曲的な表現を用いて、即効性はないものの、相手の無意識に対してジンワリと効果を発揮する、参考になるかもしれない言葉の使い方だと思った次第です。

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