家族をシステムとして考える家族療法

「原因の追究はしない」

ここで、ある家族の子供が不登校となったとしましょう。

大概の場合、母親がカウンセラーを訪れて相談することになります。
(日本の場合、仕事を理由に父親は来ない)

そして、カウンセラーを訪れた母親は、多分、こう尋ねるでしょう。

「先生、どうしたらいいんでしょう?原因は何が考えられますか?」

この、母親の発言の裏には、「原因を見つけ出し、それを潰せば、不登校は解消する」という意図が見え隠れします。

ここで、家族全体を考える家族療法では、(子供の不登校に対する)原因に対するアプローチをしません。
不登校になった子供だけを悪者扱いにしません。

考え方としては、家族というシステムの中にバグ(不具合)が発生し、その結果の1つとして、子供の不登校という現象が現れたと考えます。

例えば、実際は、その家庭の様子が以下のようだったら、どうでしょうか?

父親は、仕事第一主義で、子供の世話は母親に任せっぱなし。

そして、父親は母親に向かってこう責めます。

「俺は仕事で忙しいから、子育てはお前に任せているんだ。大体、お前は、子供にいつも甘いんだ。俺が叱っても、いつも庇ってしまうし。。。」

それに対し、妻も反撃します。

「あなたは、”子供の世話は任せた”と言っているけど、誰がそんな風に決めたの?あなたは仕事で忙しい、て言っているけど、私も毎日の家事で忙しいの。何もかも私任せなんて無責任よ。」

夫「無責任とは何だ」

という具合に夫婦の口論は延々と続き、ますますヒート・アップしていきます。

さて、それが、家庭内で毎日のように繰り返されるとしたら、それを見ている子供はどんな感情を抱くでしょうか?そして、どんな行動を取るでしょうか?

子供にとって、唯一頼れる存在は両親しかしないのですから。

このように、家族全体を見てみると、不登校という子供の問題は、その子供にあるのでない、というのが明白になるでしょう。

「子供の不登校」というのは、「原因でもあり、結果でもある」と同時に、「両親の不和」というのも「原因でもあり、結果でもある」と言えることになります。

通常、このような問題が起きると、人は原因の追究に一生懸命になってしまい、なかなか問題の解決に焦点を当てることが出来ない、という状態が続いてしまうことがあります。

原因を追究しても、様々な事柄が出てきて、どこから手をつけたらよいか分からなくなってしまうでしょう。
(大概の場合、議論の内容が、他人の攻撃や、言い訳、責任のなすりあい、というケースになりやすいのは想像に難くありません)

家族療法では、家族というシステムのバグにより生じた、このようなネガティブなエンドレスのループ・パターンを崩すという手法があります。

例えば、こんなケースがあります。

不登校の子供を持つ家族が全員揃って、セラピストのもとを訪れました。

そして、セラピストによる、いろいろなインタビューが行われたのですが、その途中、セラピストは、父親の子供に対する発言に対して、母親が無意識に「頷いている」ことに気が付いたのです。

そこで、セラピストは、母親に対して、今後、家庭内においても、父親の発言に対して、決して頷かないよう指導しました。

その結果。。。子供は、学校に行くようになったとの事です。

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