真実は体が知っている

前回では、イギリスで物議をかもしたと言われる?、「ロシアン・ルーレット」のTV実況中継のお話をしました。

心臓の弱い方は、前号を参照

  ↓

 http://archive.mag2.com/0000270662/20100309222000000.html

勇気のある方は、下記をご覧ください。

   ↓

 http://www.youtube.com/watch?v=ylAHWVuPNus

もし、このパフォーマンスが「ヤラセ」でないとしたら、どのようなシカケがあったのでしょうか?というところで終わりでした。

遠い英国の人ですし、全く面識がないので、本人に聞く訳にもいきません。

私の予想としては、

  • この動画の主人公は、とある心理学にも精通していた。
    この心理学は五感を重要視してるので、今回の場合、被験者が実弾を込めた弾装の番号を言葉にして言う時の、通常では聞き分けられない、微妙な声の変化 を検知した。
  • 最後のクライマックスの部分。長い沈黙の時間が流れますが、主人公は、その間、一般的には「推理」とか「論理思考」と呼ばれる、意識の思考ではなく、無意識の思考をしていた。(俗に言う「直感」)
    私個人としては、最後の二発の間隔が、ほとんど短い(時間的に考える余裕がない)ところにカギがあるのではないかと予測しています。

    あえていうと、被験者が数を言った時点で、あるいは、銃弾を込める時の会話などから、「体は既に答えを知っていた」。

といったものでした。

そこで、今回は、「真実は体が知っている」のお話です。

ネタ元は、前回同様

  「単純な脳、複雑な「私」」 池谷祐二 著 朝日出版社

です。

ここで、「ミュラー・リアー錯視(錯視)」というのをご存知でしょうか?

こんなヤツです。

   ↓

 http://hypno.e-and-a.org/wp-content/uploads/MullerLyer.jpg

これを見ると、上下とも同じ長さの線なのに、何故か、上の線のほうが短く見えてしまいます。

では、ここで、この線を実際に、二本の指でつまもうとしてみましょう。

そうすると、上下どちらの棒に対しても、同じ指の幅でつまもうとしてしまいます。

意識の上では、二本の線は長さが違う、と思っていても、実際に身体を動かして、つまもうとすると、身体は「二本の線は同じ長さである」という事実を知っているかのように行動します。

チョット話は横道に逸れますが、今回、「錯視」について調べていたら、面白いサイトがありました。

 「錯視と錯聴を体験!イリュージョンフォーラム」」

 http://www.brl.ntt.co.jp/IllusionForum/ja/recommend.html

中でもビックリするのが、「紙細工の動物が、首を回しながらこちらを注目し続けるように見える、という衝撃的な錯視」です。

解説によると、「与えられた視覚情報が曖昧な時に、脳はいくつかの可能性の中から、「現実世界で最も起こりうる解釈」を採用している」との事。

よく見れば、ドメイン名が「ntt.co.jp」です。(← これは、余談)

話を元に戻して、もう一つの実験例。

ここに2つのボタン(Aボタン・Bボタン)があります。

どちらかのボタンを押すと、現金が得られたり、あるいは損をします。

被験者には、全く情報を与えず、この2つのボタンを「なんとなく」で構わないので、どちらか選択して押す、という作業を、ずっと続けてもらいます。

ここで、この損得は、ほぼランダムに決められていますが、長い目で見ると、Aというボタンは平均的に得をして、Bのボタンは損をするように設定されています。

被験者は最初のうちは、どうやっていいのか分からないので、試行錯誤しますが、そのうち、「どうやらAのボタンの方が得をする」ということが、なんとなく分かってきます。

ここで、面白いのが、このように意識の上で得するボタンが分かる以前に、すでに体の変化が現れているのです。

この実験で、被験者には、皮膚に電気の伝導度を測定するセンサーを貼っているのですが、既に書いたように、被験者の意識が認識するより以前に、間違ったボタンを押そうとすると、電極の抵抗値が下がる事が分かりました。

どういうことかというと。。。

 測定値(電極の抵抗値)が下がる

  ↓

 生理現象としては、「汗」をかくということ

  ↓

 つまり緊張している

本人は、まだどちらのボタンを押していいのか分からず、五里夢中の状態なのに、体の方は「やめてくれ、こっちを選んだらマズいぞ」と気付いているのです。

こんな実験結果を見てみると、もし、何も判断材料がないにも関わらず、重要な決断をしなければならなくなったら、無闇やたらにゴチャゴチャと意識上(頭の中)で考えるのではなく、「理由なんてないけど、なんとなく良さそうだ」「こっちの方が腑に落ちる」という選択肢を選ぶのが、意外と正解なのかもしれません。

あとは、将棋の話。

これは多分、聞いたことがあるかも知れませんが、プロの将棋対戦の場合、特に中盤における展開は、あまりにも手数が多すぎて、試合展開が読めない、という場合があるそうです。

しかしながら、そのような時でも、次の一手はこれを打てば勝てる、という勘が働き、実際に勝ってしまう、ということもあるとの事。

理由は本人も分からないけれども、「これしかない」という確信みたいなものが生まれてくるらしいです。

最後に、今回の話題で活用させて頂いた、

  「単純な脳、複雑な「私」」 池谷祐二 著 朝日出版社

の特に前半部分では、いくつかの「サブミナル効果」の実験例が紹介されています。

サブミナル効果については、私の認識では、科学的には証明されていないと考えているのですが、日本国内の放送倫理規定の中でも、サブミナルは使ってはいけないと規定されていたと思います。

サブミナル効果の詳細については、別途調べて頂くとして、一連の映像の中に埋め込まれた意識では認識できない「一瞬の」別の画像も、無意識というか身体は実際には認識しているようです。

マァ、こんな感じで、今回の一連のお話は終了です。

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